昭和41年01月15日 夜の御理解
今日は、北野の堤さんの所の宅祭で御座いました。毎年今日を辞してあるのですが、本当に年々再々そのお祭りの内容も変わってみえておるからで御座いましょうけれども、お祭りが立派になって行く事で御座いますね。荒削りながら信心が、家中の方達が身に付いて行かれておると云う事を感じます。一人がおかげを受けた為に、千人も万人もおかげを受ける様になろうがと仰るが。
本当に堤さんが朝、一人御祈念に朝の御祈念に参って参りますと、それに車にやっぱり、5・6人位、少なくとも5・6人位は乗ってから。毎朝みえられますですもんね。月並祭というても、やっぱりあっちの車が着かんとお広前の一部があいとる位です。やっぱり助かって行き御座る姿があぁ言う風にして現れて行くんで御座いましょうね。それもお父さんの信心から、息子さんの清さんの信心が、もうむるいてよい程善良ですね。
純真です。もう本当に性格的に、恵まれておられるなぁ、と私は思うんですが、その性格が信心によって、磨かれて行くところにいよいよ、光はなって行くと云う様な、感じが致します。今朝からもお参りしてみえてから。先生、もう昨夜から、何か気分がすっきり致しません。こう言う云う様な気持ち、で明日のお祭りは仕えられんと思うて、一生懸命その事に、こんないじゃいかん。こんな事じゃいかんと、思うてみますけども、どうにも出来ませんでした。
晩休まして頂く時に、その事を神様にお願いして休ませて頂きましたら、朝方お夢とも御神耳とも分からん様な、お声をお夢の中に頂いておられるですね。「改まって願え」とお言葉を頂かれた。私この事を聴かせて貰って、願う事ですね。お願いをすると云う事は、矢張りこの一つの意義を正して、改まってと云う事は、まぁ普段着を着とるなら、ちょっとよそ行きの着物でも、エプロン掛けとるなら、エプロンでもちょっと外してから、矢張り改まって御神前にでも出る位な気持ちで、形の上においては。
内容においてはいわゆる心の改まり。この事で、せめてこのお祭りを堺に、この事だけは改まらせて頂きますという気持ちで改まって、願ってある事を願えと。もう先生、その事を頂きましてから、はぁこんな事この事ば改まらせて貰おうと、目が覚めて思うた途端に、私の心の中にまぁ何かしら。今日は神様が何でも聞いて下さるぞと云う様なその有り難い心が頂けましたと、信心はこのこれが有り難いのですね。
神様のお心にかなうと云う事、そこに発心させて頂く時に、もう神様が和らぎ喜ぶ心を与えて御座る。朝出掛けに真っ暗いこれは今朝は、今日はお湿りじゃなかろうかと云う様な感じだったから、その事も今日はここでお願いをなさいましたが、やっぱご覧の通り今日、あんな良いお天気で御座いました様に、先程もお礼に出て見えてからその事をお礼を言われるんですよね。
ほんとに神様はもう天地の事に至るまで、降る照るの事に至るまで万事お都合、お繰り合わせが頂けると云う事。けれども、それは矢張り改まって願い、そしてそこから頂く所の喜びの心というものを持って、神様に願わせて頂くと云う所に、私はおかげが頂けるこの改まって願えと云う事にはそういう二つの事があると思うですね。皆さんでも、矢張り毎日こうやってお参りになるので御座いますから。
というてわざわざなら、さぁ洋服着替えたり着物着替えたりして、という訳にはいかんけれども、せめて矢張り仕事着位はとってせめてエプロン位は取って、せめて前掛け位は取ってと云う様にです。改まって形の上に改まった気持ちでご神前に出らせて頂くと言う事は、やっぱり大事で御座いますね。と云う事と同時にいわゆる普段着の信心からよそ行きの信心という、こう改まった信心が大事であると云う事なんですね。
同時に一番大事な事はです。改まって願えと云う事、自分のこの考え方が間違っとった、その考え方を改めて神様に願う時にです、私共の心の中に与えて下さっておるのは、今まで言わばモヤモヤしておった、どうにも憂うつで仕方なかった。その心が有り難いという心に、はぁこの心で願うならば、どげな事でも神様が聞いて下さるぞ。
と云う様な心を頂かせて頂き続けると云う事。信心とはそこを願う事。為に絶えず改まって願えと云う事がです、こう思わせて頂く訳ですけれども、今日、私は堤さんの所のお宅祭りを仕えさせて頂きましてから、ま、そう言う様な事を中心にお話ししたんですけれども。これは私の今日の収穫としてもこの事が一番だった。成る程、改まって願うと云う事ですね。信心はここんところが、私は大事な様に思います。
どうぞ。